タグ:卵巣ガン ( 24 ) タグの人気記事

  今、ある奇跡5年後生存率64%を乗り越え~ 
    
        これは、私自身が体験した実話です。
        今、ご本人もしくは大切な人が、病と闘ってる方々に、
        少しでも勇気を与えることができれば 光栄です。


  退院後、毎月 腫瘍マーカーのチェックをし
  半年ごとに MRI→CT→MRI→CTと画像チェックを続けた。

  ある診察日の待合で
  「やっと、完治って言われた003.gif」と母親に報告している患者さんを
  見かけた。
  私も、ダンナさんに そう報告出来る日を待ち望んでいた。
  一昔前は、3年完治といわれていたが
  今では、5年で完治とされている。
  そんなことも 病気になって初めて知った。

  順調に日々を過ごし、3年が過ぎたある診察日に
  重大ニュースが私の耳に飛び込んできた。
  私の命の恩人であるT先生が この病院を辞めるという噂。
  ショックだった。
  T先生の口から完治という言葉を聞くことを
  夢見、目標にがんばってきたのに......。不安......。

  もしも、開業でもされるなら、私もついていこう!
  そう決め、先生に聞いてみた。
  すると、市外(車で1時間半)にある、成人病(ガン)センターへ
  移られるとのこと。
  とても不安そうに見つめる私に 先生は
  「僕が信頼できる後任の先生を探したから
  心配はいらんからね。」 と言ってくださった。

  そして、T先生の最後の診察の日には
  後任のH先生も同席していた。
  診察の最後に 私の命の恩人T先生に 感謝の気持ちを伝えた。

  「先生に診ていただけて、本当によかったです。
  ほんとにありがとうございました。
  今まで、お世話になりました
  そう言いながら、少し涙ぐんでしまった。
  先生は 少し照れていた。

  それからは後任のH先生が私の主治医になり
  初めての診察日に H先生が
  「カルテ見させてもらいましたが、
  本当に大変な手術でしたね。
  T先生に命助けてもらったね。
  T先生はほんとにすばらしい先生で、いつも学会で
  発表される話をみんなが 注目して聞いてるんですよ。
  T先生に診てもらえてよかったね。
  これからも がんばりましょう。」
  と言ってくださった。

  やっぱり、T先生は すごい人だったんだ。
  そして、私の病状も きわどかったんだ.....。
  改めて、T先生に感謝した。
  そのT先生が選んだH先生も
  同業の医師を褒め称えることができるすばらしい人だと思った。

  それから、2年経ち ようやく 待ちに待った術後5年。
  完治と言われる日が訪れた。
  とはいえ、女性ホルモン補充の貼り薬をもらいに
  2ヶ月に一回は通うことになる。
  ただ、腫瘍マーカーは 未だに半年に一回チェックをし
  画像チェックも しています。
  念には念を。
  病院通いは まだまだ、続きますが
  自分の体を思いやるためにも
  自分を戒めるためにも
  私には必要なことと感じています。

  私は、卵巣ガンという病気を経験したことにより
  多くのものを学び
  多くの人と出会い
  そして かけがいのないものを知ることができました。

  今ある命を 当たり前のことと思わず、
  この世に生まれた奇跡を感謝し
  これからも 過ごしてまいります。

  今、病と闘っておられる方、また一緒に闘っておられるご家族様に
  心から笑える日が訪れることを願って
  このカテゴリー(今、命ある奇跡)を終了させていただきます。

  今まで、読んでくださった皆様
  コメントくださった皆様
  ありがとうございました。

  ブログはまだまだ、続けてまいります。
  またのご訪問 お待ちしております。
  ありがとうございました(*^_^*)    
   

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by oreihuzusakay266 | 2009-12-06 14:32 | 今、命ある奇跡 | Comments(2)

#21  再発の不安

  今、ある奇跡5年後生存率64%を乗り越え~ 
    
        これは、私自身が体験した実話です。
        今、ご本人もしくは大切な人が、病と闘ってる方々に、
        少しでも勇気を与えることができれば 光栄です。


  
  とりあえず、6クールの抗がん剤治療が終了した。
  5クール目と6クール目に 合間があったので、それも含めると
  8か月間 入退院を繰り返す長い長い日々に
  ピリオドをうつことが ようやく出来た。

  退院後は、毎月 腫瘍マーカーと肝臓の状態をチェックするために
  血液検査をしに 外来に通うこととなった。

  私の場合、卵巣ガンであるため
  CA125という腫瘍マーカーで調べられているのですが
  先生によっては 多少違うと思いますが
  その数値が 当時は(数年後に検査基準?が変わったみたいで)
  20以下(現在は30)だと正常値と聞かされていた。

  手術前、一番最初に検査した時
  私は 240 くらいだった。
  この数値で 卵巣ガンの疑いは大きくなっていたのである。
  もちろん、一過性のもので上がる人もいるし
  逆に 数値が上がらない人もいるらしいが
  手術後、15くらいに一気に落ちていた私は
  腫瘍マーカーが反応しやすいタイプだとわかった。

  だからこそ、毎月の検査結果はドキドキものだった。(7年経った今でも^_^;だが)
  数値が上がっていたら、それは
  再発ということだから。
  そうなると、即入院の日取りが決まるのだ。

  実際、私と同じ周期で抗がん剤を受けていたおばさん達の中に
  数値が上がり また治療の生活に戻られる方が何人もいた。

  6クール終了後は ほぼ一桁の数値だったが
  ある時、11という時があった。
  先生も「やや、高いけど、正常値内やから問題ないね。」と言った。
 
  このやや高い  というだけで
  不安はどんどん膨れ上がる。
  私は何でも、ジンクスを信じるタイプだから
    必ず、実家から自転車で 病院へ行く。
    実家の仏壇に手を合わせてから行く。
    検査前に必ずトイレに行く。

    待合で待ってる時は 何も読まない。
        ↓
  これは、数値が11に上がった時に 本などを読んでたからなのである......。
  実家療養を終え、自宅に帰ってからも 外来の日は
  実家に車を置き、仏壇に手を合わせ 自転車に乗り換えて行っていた。

  これを、4年くらいは、続けていた。
  それほど、いつまでも不安は取れなかった。
  再発は やはり怖かった。

  TVなどで 再発して亡くなられる人のニュースなどを見ると
  ブルーな気分になったりしていた。
  主治医のT先生からも
  再発ガンの恐ろしさは聞いていた。
  再発した時、今と同じように前向きにがんばれる自信がなかった。
  でも、再発したら やっぱり頑張るんだろうとも思っていた。

  一度だけ、再発の不安から、
  逃れられなくなり
  友達に 「私、大丈夫よな?」と
  メールを送ったことがある。
  ダンナさんには言えなかった。
  いつもそばにいて、支えてくれているのに
  私が弱気になるのは 悪い気がしたし、
  きっと、少なからずダンナさんも 私と同じ思いはしているだろうから。

  もはや、私とダンナさんは 一心同体だった。

  友達は、そのメールを見て
  「当たり前やんか!」と返事をし
  すぐに(私の)ダンナさんにTELをして 私の様子を聞いてきたらしい。
  そして、すぐ駆けつけてくれた。

  私はみんなに支えられている。
  私が弱気になっててはいけない。
  負けるわけにはいかない。

  それ以降、再発のことは考えないようにした。
  
  前向きに、前向きに。

                                    次回へ

  
  

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by oreihuzusakay266 | 2009-11-29 16:54 | 今、命ある奇跡 | Comments(4)

  今、ある奇跡5年後生存率64%を乗り越え~ 
    
        これは、私自身が体験した実話です。
        今、ご本人もしくは大切な人が、病と闘ってる方々に、
        少しでも勇気を与えることができれば 光栄です。


  私が、卵巣ガンになったとき、
  ケーキ屋さんでバイトをしていました。
  オープン時から 勤めていたので 8年くらい経っていた。

  オーナー夫婦から、とても頼りにしてもらっていたので、
  やりがいもあったし、バイトながら 誇りを持って働いていた。

  仕事は楽しく、ただ冷凍庫などに入ったりするから
  ただでさえ冷え症なのに、余計に体を冷やしてしまっていた。

  手術することに決まった時、
  オーナーに、休暇をお願いした。
  ガンだとはまだ、手術しないとわからない段階だったが、
  内心は、長期休暇になってしまうんじゃないかと
  思っていた。

  オーナー夫婦は本当に親身になってくださって
  「退院したら、また、働かせてもらえますか?」という私に
  「もちろんやで!いつまでも待ってるからな!
  と言ってくださった。

  この言葉が、闘病中 どれだけ力になったかわからない。
  戻る場所があるということは、私にとって、大きな力となり
  励みになった。

  結局、髪の毛も全部抜け落ちたから
  ウィッグをつけての社会復帰。
  新規のところで 働くには、もっと時間がかかったことだろう。

  運よく、そのケーキ屋さんでは 帽子をかぶって働くので
  ウィッグでもバレない。

  入院中も、オーナーの奥さんである店長
  何度もお見舞いにきてくれ
  わざわざ、奈良のお寺まで行って、祈祷をしてもらった毛布を
  下さったりした。(2回も)

  しかし手術から1年余りで 仕事復帰した時
  オーナー夫婦の姿はなかった。
  店をやめられ、フランチャイズのそのケーキ屋は
  本部経営になっていた。

  辞められる時、連絡があり 聞かされていた。
  「あなたが、戻ってくるまでは待ってようと思ったんだけど
  ごめんね。」
  店長も、前々から婦人科に通っておられたし、
  オーナーの健康に不安が出てきたということで
  店を手放す決心をされたのだ。

  こうなる原因には私にも責任があるんじゃないかとも思ったが、

  それより、言葉にできないほどの感謝の気持ちを伝えた。

  待ってるよ、の一言がどれだけの支えになったか.....。
  店長と二人、喫茶店でしばらく泣いた。

  本当にありがとうございました。

  私は、復帰後 2年で そのケーキ屋さんは辞めました。
                                       

  
   
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by oreihuzusakay266 | 2009-11-27 17:48 | 今、命ある奇跡 | Comments(0)

  今、ある奇跡5年後生存率64%を乗り越え~ 
    
        これは、私自身が体験した実話です。
        今、ご本人もしくは大切な人が、病と闘ってる方々に、
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  入院中、ダンナさんには 本当に感謝しきれないほど
  支えてもらった。

  そばにいてくれるだけで、安心したし
  時には、看護師さんのものまねなどをして、
  心から笑わせてくれ、    
  いつもいつも励まし続けてくれた。

  入院前、まだガンかどうか判明しないときも、
  「大丈夫大丈夫」とずっと、そばにいて、手を握っていてくれた。
  私一人だったら、恐怖を耐えられなかったかもしれない。

  家には、認知症の母がいたので、食事の世話からすべてしてくれ、
  同時に、私の見舞いも 欠かさず来てくれていた。
  そんなダンナさんが 入院中の私に
  1,2度 憔悴した様子で 電話をしてきたことがあった。

  認知症の母の症状がひどく、手に負えない.......。
  私にそんなことを、言ってくるくらいだから
  よほどのことなのだろう。
  でも、私にはどうすることもできないし.....。
  ダンナさんも疲れきっていた。
  申し訳なかった。私がもっと、精神的に強かったら
  ストレスに負けて ガンになんかならなかっただろうにと、悔んだ。

  負の連鎖が起きていて ほんとに みんながつらかった。
  
  ちょうど、抗がん剤治療の4クール目と5クール目の合間に
  私達夫婦の10回目の結婚記念日があった。
  毎年なら、イタリアンレストランなどでお祝いしていたが
  そんなシャレたところへ 行く気分でもないので(ズラだったしね)

  うどんチェーン店へ行くことにした。
  実母が、うどんでも食べておいでと お小遣いをくれたのだ。

  私は、それほど食欲もなかったから、うどんにし、
  ダンナさんは、いくつかの小鉢が付いてくる定食を頼んだ。
  そして、瓶ビールを一本。

  もちろん、私は、飲めないので 水で乾杯した。

  「結婚記念日おめでとう!ありがとう!」なんて
  二人で言い合いながら。

  ビールを一口飲んだダンナさんが
  とびっきりの笑顔で
  「おいしーーーーー003.gif」と言った。

  その瞬間、私の涙が滝のように流れ始めた。
  ダンナさんには見られないように、下を向いた。
  決して、豪華と言えるような食事でもなかったし
  夫婦揃って、お酒好きなのに、結婚記念日に 水で乾杯するようなことになって....。
  とにかく、不憫に思えて、涙が止まらなかった。

  その時、私は実家で療養していたので、
  いわゆる別居中だった。
  きっと、家でも缶ビールくらいは飲んでただろうけど
  それは、二人で飲んでた楽しい晩酌ではなく
  ただ飲んでたってだけだろうと、想像ができた。 
 
  もちろん、泣いてることに 気づき、理由を聞いてきたが
  感謝の気持ちや、今思ったことを口にしようとしても
  涙で声にならなかった。
  この時のことを思い出すと、今でも涙が止まらなくなる。

  今でも、病気になったのは、ストレスが一番の原因だったと
  思っているし、そのストレスの原因の一つに ダンナさんのことがあったことは
  否定しないが、この日を境に すべて 消えた。

  どんなことがあっても、一生、ダンナさんには感謝し続けるだろう。
  あの、無邪気に笑った顔を、一生忘れない。

  私の指にダイアモンドは なかったけど
  それに勝る思い出を結婚10周年に作ることとなった。

  私は、ダンナさんと 巡り会えて
  本当に幸せだ。

                                   次回へ


  
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by oreihuzusakay266 | 2009-11-22 15:09 | 今、命ある奇跡 | Comments(3)

  今、ある奇跡5年後生存率64%を乗り越え~ 
    
        これは、私自身が体験した実話です。
        今、ご本人もしくは大切な人が、病と闘ってる方々に、
        少しでも勇気を与えることができれば 光栄です。


   その後、抗がん剤治療治療は続き、
   1クール目より2クール目のときに増やされた量のまま
   3クール目を迎えた。

   やはり、増えた抗がん剤のせいで
   副作用はひどかった。おまけに、白血球の数もなかなか
   増えていかず、
   白血球が少ないと、菌を殺す力が少ないということだから
   ちょっとした風邪でも、肺炎になるおそれがある。

   だから、無菌室の病室に移った。
   ちなみに、私は 抗がん剤治療はすべて
   個室で過ごさせてもらった。

   副作用がある時に、他人と接する余裕がなかったから。
   よく、病棟で ガン患者ばっかりが
   仲よしになって 同じ部屋になったりするのだが
   そういう仲間に入りたいとは
   これっぽっちも思わなかった。

   かといって、妊婦さん達と仲良くなりたいなんて
   思うはずもなかった。(当たり前だよ!)

   婦人科病棟って、ときに残酷。
   これから、赤ちゃんを産む幸せオーラ満載の妊婦さんと
   欲しくてもできず、挙句の果てに
   ガンで子宮、卵巣を失った者が
   同じ部屋で 過ごさなければならないのだ。

   もちろん、健康な妊婦さんばかりじゃないし、
   切迫早産やつわりで つらく長い入院されてる方も多いんだけどね。

   こんな書き方したけど、私は それほど苦でもなかったのだ。
   病気を治すことだけに 集中していたし。
   とっくの昔に 赤ちゃんはあきらめてたんだ。
   入院中、1、2回 悲しくなったくらいさっ!

   4クール目の治療は、量が減らされてしまった。
   量が減ると、びっくりするくらい楽だった。
   嬉しいような、悲しいような。

   副作用が軽ければ 効き目も少ないだろうし。
   だから、最後の5クール目は、量を増やしてほしいと頼んだ。
   最後だから、苦しくても ガマンできる。

   その頃には、まゆ毛も抜けていたし、まつ毛も抜けていた。
   もちろん、脇もアンダーヘアも(笑)
   自分の顔じゃない感じになってきていた。
  
   そして、いよいよ 5クール目が終了し、
   退院となったのだが、最後だし 縁起を担ぎたかった。
   それなのに、その日は 仏滅。
   看護師さんに ムリ言って 次の日の朝一番に
   退院させてもらった。
   
   ほんとに、お世話になった看護師さん。
   これからは、外来に通うから、もう会うことはないだろうから
   いっぱい お礼を言って 退院した。

   退院後、毎月 外来で主治医のT先生に診てもらっていたのだが、
   3カ月後、もう髪も2センチ以上 生えてきていたある日
   T先生が
   「治療は6回したな?」 と聞くので、
   「いいえ、5回です。」 と答えると、
   「アカンがな!6回せなアカンのや。この前学会で決まったんや。」
   えーーーーーーーーーーーーーー!!

   そんなバカな~。
   すぐさま、病棟の主任さんに聞きにいったら、
   「つい、この前 学会があったばかりなんや~。
   そこで決まったんやろな~。私らもしらんかったわ~。」
   なんて、言われて......。

   家族もみんな、びっくりしたけど、
   この一回で、のちに後悔することになったら
   ダメだから、6クール目を受けることになりました。

   3か月前、永遠の別れのように
   挨拶した看護師さん達と
   苦笑いの再会をしたのでした。

   やってくれるよ、T先生。

   せっかく、生えた毛が また抜けるという嫌な経験をしてしまったのだ。

                                           次回へ

   
    
   

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by oreihuzusakay266 | 2009-11-17 23:17 | 今、命ある奇跡 | Comments(0)

  今、ある奇跡5年後生存率64%を乗り越え~ 
    
        これは、私自身が体験した実話です。
        今、ご本人もしくは大切な人が、病と闘ってる方々に、
        少しでも勇気を与えることができれば 光栄です。


  今から振り返ると、ガンになった理由はいろいろあった。
  もちろん、私のこじつけでありますが......。

  一番はやっぱり、ストレス
  病気が発覚する寸前は たまりまくっていました。
  自営していたお店を閉めてから なかなか主人が定職につけず
  臨時的な収入と貯金と私のバイトの収入でやりくりする生活。
  その貯金も、ダンナが株で400万 大損したこともあった。
  仕事の事は、主人なりに 努力はしているんだろうから、
  表立って責めることもできず.....。

  そんな頃、義母の認知症が進み、
  私は バイト先で 主任的な仕事をしていて
  疲れて帰ってきても、夕食の準備をして、一生懸命がんばってるのに
  義母には、私がお金を盗んだの、着物を盗んだの 言われた。

  その頃、なんで私ばっかり しんどい思いしてるんだろう、と
  時々、ダンナに当たってた。
  将来を考えると 気持ちは落ち込むばかり.....。
  このままじゃ、どこか悪くなるって思ってた。

  極度のストレス.......。
  それと、当時のバイト先は 冷凍庫に入ることも度々あり
  体を冷やしてしまっていた。

  気づけば、微熱が続き、
  一晩寝ても、疲れがとれなくなってた。
  時には、めまいもしてたし、目もかすんだりしてた。
  そして、体は常に冷えてる感じだった。

  でも、そのときは まさかガンになってるとは思いもしなかったし
  ただただ、ストレスと疲れがたまってるな~って感じだった。

  ほんとに 痛みがでなかったら、気づかなかっただろう。
  今頃になって知ったのだが、
  卵巣は肝臓と同じで 沈黙の臓器らしく
  よほど腫れあがらないと、気づかないらしい。

  痛みを感じてくれた自分の体に感謝したい。
  
  入院してからは、もうがんばることを止めた。
  手術や抗がん剤で 最初の入院でかかった100万以上の入院費用も
  実母に出してもらった。
  それ以降の治療も すべて 出してもらった。

  今までの私は 実家には 心配かけたくないの一心だったから
  病気になってしまった私を 母は不憫に思っただろうし
  なんで言ってくれなかったのかと 悔んでいた。
  だからというわけでもないが、
  それからは 甘えさせてもらうことにした。
  またいつか、親孝行するから、と
  申し訳なく思う気持ちは自分から見えないところに隠して。

  病気になってから、気づくことばかりなのだが、
  ガンになるまえは、やたら、涙が出た。
  私が思う、ストレス発散の一番は、怒る笑う泣くの3つの中では
  ダントツに泣くことだと思う。
  だから、そのときの私は 限界だったのだろう。
  なんかの拍子で 号泣していた。
  時には、運転中 前が見えないから 停車することもあった。
  
  いろんなサインは出ていたのに、気づけなかった。

  だからこそ、今は なるべく ストレスをためないよう
  体を温め、免疫力を高めるようにしています。

  免疫力UPの食品として
  納豆。そして
  シュガースポット(黒い斑点)のでてきたバナナ
  これらは、毎日食べていた。
  体も冷やさないよう、部屋も模様替えして 
  フローリングにソファだけだったのを こたつを出してきた。

  せっかく、生き返った命、大切にしていきたい。
   

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by oreihuzusakay266 | 2009-11-14 23:16 | 今、命ある奇跡 | Comments(2)

  今、ある奇跡5年後生存率64%を乗り越え~ 
    
        これは、私自身が体験した実話です。
        今、ご本人もしくは大切な人が、病と闘ってる方々に、
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  2クール目の抗がん剤治療は
  退院して、2週間後から始まった。

  一度経験があるだけに これから起きることは 予測ができていた。
  が、2クール目は 最初のときより 抗がん剤の量が わずかながら
  増やされたのである。

  これが、キツイ.......。
  初めての治療のときは つらいなりにも
  「想像よりは、マシかな?これなら、なんとか 耐えれるか?」という程度だった。
  しかし やはり それは最初の様子見だったんだな.....。

  とにかく、日薬(ひぐすり)
  治まるのを待つのみ。
  量が増えると、治まる日数もかかった。

  その頃から、ダンナに勧められて イメージトレーニングを
  するようになっていた。
  抗がん剤が 強力な武器として ガン細胞をやっつけていく。
  体の中で、バチッバチッと音を立てて 死んでいき
  その死骸を 宇宙空間へ ピューーーーと飛ばしていく。

  ダンナさんは、TVなどで いろんな情報を得ては
  私に勧めてくれた。
  とにかく、笑うことは とても効果があるらしい。
  笑うと、ナチュラルキラー細胞が増えて それがガンをやっつけてくれる。
  笑えなければ、ウソ笑いでもいいんだって!
  私は、ひとりっきりのときは、よく
  「あはははははははははははは
  と、声を出して 笑っていた。さぞかし 不気味だっただろう。

  でも、いいと思われることは 何でもしていた。
  妹からの差し入れで アガリスクのお茶も飲んだし、
  お守りも 肌身離さず 持っていた。
  特に信心深く思っていたところの、
  数珠、手ぬぐい、お守りをセットにして 手術室にまで持って行った。
  その後も、ずーーーーーーーーっと お腹に挟んで寝ていた。
  ちなみに、7年近く経った今も 枕元で見守っていてくれる。

  こうして、2クール目は無事(?)終了したのだが
  前々から、気になってること、でも怖くて聞けなかったこと......
  病理検査の結果(詳しくはコチラ)を、まだ聞いてなかった。

  同じタイミングで、ダンナが言ってきた。
  「結果 もう出てるよな~。聞こっか?」
  やはりダンナもずっと気になっていたのだ。
  そうして、まず看護師さんに聞いてみた。
  すると、「まだ聞いてなかったん?」と。

  そして、主治医のT先生から、直接説明してもらうことになった。
  ドキドキ......。
  あちこちに転移してたら、どうしよう......。
  でも、今できることは、抗がん剤だけだしな......。


  そして、忙しそうにバタバタと T先生が 病室に入ってきていた。

  「なんや!? 今頃? 病理の結果か? 
  そんなもん、あっちこっちに 飛んどるがな!
  ほんで、抗がん剤で たたいてるんやろ!」

  「あっ、そうですか^_^; わかりました.....」
  
  また、忙しそうに先生が出て行ったあと、ちらっと看護師さんの顔をみたら
  「うん。抗がん剤受けるってことは、そういうことやしな...^_^;」 だって。
  
  そうなん?私って勉強不足?
  
  これまた、あっさりと言われちゃったから、
  まぁ 散らばってたけど、どこかに へばりついて
  転移してるってことではなさそうなので、深く考えないことにした。

  この数週間、内心ドキドキしてたのは なんだったのじゃ~~。
  
  相変わらず、あっけらかんとしたT先生に
  またもや、救われた気がしたのであります^_^;
                                           次回へ
  

  

  
  
    
   
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by oreihuzusakay266 | 2009-11-12 10:29 | 今、命ある奇跡 | Comments(0)

  今、ある奇跡5年後生存率64%を乗り越え~ 
    
        これは、私自身が体験した実話です。
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  抗がん剤の副作用で 敢え無く丸坊主にした私は
  バンダナ、帽子が欠かせなくなりました。

  家にいるときは バンダナや もちろん坊主頭のままでいいんですが
  外出時はそんなわけには いきません。
  帽子をかぶってても、やっぱり 微妙。

  そこで 私は、つけ毛(部分ウィッグ)を買ってきて
  帽子につけてみました。三つ編みにしたよ。これ↓↓↓
c0204188_10511598.jpg

  で、かぶってみると
c0204188_1053510.jpg

  これを、かぶって、
  2回目の抗がん剤治療のため 入院。
  ナースステーションで、
  私にまだ髪が残ってて しかも三つ編みしてるって噂になったらしく
  すっかり顔なじみになった看護師さんが会いにきてくれた。

  「わ~!まだ大丈夫やったん?」と驚くので
  サービス精神旺盛の私は 帽子ごと ズボっと取り
  「つけ毛ですよ~(^^♪」と坊主頭と創作帽子を見せてあげた。
  今まで、何十人何百人と脱毛した患者をみてきたであろう看護師さんは
  「すご~~~~~~~い!これ、みんなに教えてあげよ!いいわ~~~。」
  と感動してくれた。
  私も、マジで これを 売ろうかと思うほど 好評だった。

  このアイテムがあったから、
  人目を避けることなく、引きこもることもなく、
  堂々と外出できたのである。

  ちなみに 翌年4月に 仕事復帰したときには
  本格的なウィッグを購入しました↓↓↓
c0204188_11114728.jpg

  この時、ケーキ屋さんでバイトしてたので
  幸いにも 帽子をかぶっての仕事だったから、
  全く気付かれませんでした(^^♪
                                       次回へ

    
  
   
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by oreihuzusakay266 | 2009-11-11 11:18 | 今、命ある奇跡 | Comments(4)

  今、ある奇跡5年後生存率64%を乗り越え~ 
    
        これは、私自身が体験した実話です。
        今、ご本人もしくは大切な人が、病と闘ってる方々に、
        少しでも勇気を与えることができれば 光栄です。


  初めての抗がん剤治療は 卵巣ガンの術後、
  体力が完全に戻った2週間後から始まった。
  そして、吐き気や食欲不振などの症状がおさまり
  白血球の数値を確認して、いよいよ退院。

  初めての治療ということもあって、治療から2週間
  しっかりと様子をみてからの退院だ。

  ちょうど退院する2,3日前から とうとう髪が抜け始めていた。
  最初は、それこそ 普段より少し抜け毛が多いかな~くらいな感じだった。

  しかし、日に日に 抜ける本数が増え
  病院のお風呂で 洗髪すると、流しても流しても 手にまとわりついてきた。

  脱毛は、覚悟していた。しかし、自分が想像する以上に
  ショックだった.......。
  髪を洗うのが憂鬱になるほど。

  いよいよ、退院。
  2月3日の入院から ちょうど1カ月後の3月3日が退院の日となった。
  退院する前のお昼ご飯に ひな祭りのケーキがついてきた。
  なんか、おめでとって言われた気がして 嬉しかった。

  抗がん剤は4週間おきだったので、あと2週間後には また
  入院して治療をするので、
  家には戻らず、実家で療養することにした。
  家には 認知症がすすんできた義母がいるため
  結局、年内いっぱい 実家にお世話になりました^_^;

  実家に帰ってから、抜け毛は一段と 増し
  お風呂の排水溝が 真っ黒になった。
  髪が絡み合い、髪をとくことも、かわかすことも ままならず
  ダンナに 髪を切りに連れて行ってもらった。
  完全予約制で誰にも見られない美容院へ。

  その時、ダンナは 「どうせ抜けるんやから、俺がバリカンで剃ったろ!」と 
  デリカシーのないことを言っていたが、私は 頑固に断った。
  実は、自分からは見えなかったが、ところどころ ハゲてきてて
  今、カットする意味をもたないと ダンナはわかっていたのだろう。
  しかし、私の気持ちを大事にしてくれて
  連れて行ってくれたのだ。

  ベリーショートになったその晩は
  シャンプーをしても 排水溝の髪はそれまでより確実に減った。
  実際の本数は 増えてるのだが.....。

  しかし、わずか 2日後には ハゲた部分が増え
  とうとう ダンナの意見通り バリカンで 坊主頭にしてもらった。

  これがなんと
 気持ちいいーーーーーーーーーーーー!

  抜けていくストレスは やはり すごいものだったから
  こんなことなら、もっと早くしてればよかった.....。
  でも、いきなり 坊主には できないものよ(T_T)

  その日、仕事から帰ってきた実母は
  私の頭をみて 遠慮もなく  大笑いした。
  後日、友達も 大笑いしてた。
  なんで、こんなにみんな 遠慮がないかね~?
  ま、でも笑われて、 救われたのでした
                                     次回へ
                               


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by oreihuzusakay266 | 2009-11-11 10:18 | 今、命ある奇跡 | Comments(0)

  今、ある奇跡5年後生存率64%を乗り越え~ 
    
        これは、私自身が体験した実話です。
        今、ご本人もしくは大切な人が、病と闘ってる方々に、
        少しでも勇気を与えることができれば 光栄です。

  
  ガン摘出から、2週間が経過し
  いよいよ、抗がん剤を投与する日がやってきた。
  名前こそ知っていたが、抗がん剤って、点滴なんだ~とか、
  一回の治療は、ほんの4時間(私の時は)ほどなんだ~とか
  ほんとに、未知の世界だった。いや、無知だったのだ。

  私の場合は、進行度やまだ若いということもあり
  4週間おきに計5回の治療を行うと言われていた(のちに一回プラスされるのだが)

  普通の点滴とは違って、主治医のT先生が直々に 点滴の針を入れに来てくださった。
  私に投与される抗がん剤は 卵巣ガンに最も効く(らしい)タキソール
  やはり 強い薬であるため、アルコールでないと 薄められないらしい。

  ちょうど、その頃 TVでは 抗がん剤の量を間違って 患者を死なせる事故が
  報道されていたこともあり、
  T先生は 「量を間違うなんて、ありえんような事故や!それでも 患者さんも
  一応、確認しといてな!」と、 説明を受けた。
  が、量などは 今となったら、少しも覚えてない....(T_T)
  とにかく、卵巣ガンに一番効くって、先生の言葉だけを信じた。

  まず、腕から 抗がん剤を入れていく。
  そして、(手術時)脇腹あたりにいれたポートから直接 体内に点滴していく方法が
  とられた。 T先生は
  「直接入れると、効く気がするやろ?」と笑っていたが
  医学的にも、効果があるとされているらしい。

  普段、お酒好きの私も、抗がん剤のアルコール割(笑)は
  ふわ~っと、酔っぱらったような感じで うとうと 眠って過ごした。

  抗がん剤といえば やはり 副作用は避けられない。
  吐き気、嘔吐、だるさ、脱毛、白血球の減少。

  でも、これらはすぐ 出てくるものではなかった。
  もちろん 点滴中は 何の苦しみもなく、体中につけられた心電図の機械も
  私には、必要ないようにさえ思えた。

  無事、何事もなく 一回目の治療は終了した。
  夕方、仕事帰りに寄った両親は ケロッとした様子で
  治療を終了したことに びっくりしてた。

  看護師さんが言ってた通り 次の日も 大きな変化はなかった。
  だが、3日目あたりから、どんどんやってきた。
  そう、それはまるで、飲みすぎた二日酔いの感じと似ていた。
  吐きたいけど吐けないみたいな、胃がムカムカするあんな感じ。

  それは日に日に、ひどくなり、起きてるのも寝てるのも どちらもつらい。
  食べるものがどんどん 受け付けなくなった。
  二日酔いなら、ポカリのような飲み物が 気持ちよく 入るのだが
  それも 気持ち悪い。 お茶も飲めそうで やっぱりダメ。
  
  私は、ガンかも?となってから、手術前も手術後も 一切泣かなかった。
  泣いたら、病気に負ける気がしてたから......。
  でも、気持ち悪くて ごはんが食べれない時だけは 泣けてきた。(ダンナの前でだけ)
  看護師さんも、食べれなくてもいいよ~。とか言ってくれるし
  最悪、水分も取れなくなったら 点滴してもらえるのだから、
  何の問題もないんだけど、
  二日酔いと同じで ムリして食べたら このムカムカがマシになる気がしてたから
  私は 食べたかったんだ。
  ダンナには なんか食べれそうなものを リクエストしては 買ってきてもらった。

  治療の度 毎回(6回治療受けた) これが繰り返されるのだが、
  ムリな時期は どれもムリ。
  でも、マシになりかけた時に 何で抜け出すかが 重要。
  私の場合は

  *青じそドレッシング
  *梅茶漬け
  *柑橘類 (2回目からはダメだった)
  *アイスクリーム
  などでした。 まるで 妊婦(経験ないけど^_^;)

  これらの食べ物は やっぱり 普段から私が好きなものでした。
  しかし、これが トラウマというのでしょうか?
  治療後から、上の2種は3年以上は見るのも嫌になった。(みれば吐き気)
  
  こうして、吐き気がおさまり、抗がん剤により激減した白血球の数も増え
  まもなく 退院という頃から 髪が日に日に 抜け始めていた......(T_T)

  とうとう、女にとっての最大の副作用 抜け毛が始まったのだ。
      



   

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by oreihuzusakay266 | 2009-11-10 10:23 | 今、命ある奇跡 | Comments(0)