2024年 05月 28日
突然の別れ
大好きな父が
5/24に亡くなりました。
前日(23日)に
『明日、先生から話があるので
14時に来てください。』と
言われたので
母と妹と3人で
病院に向かいました。
それまでは、
今すぐ来てください、とか
今日来てください、とかだったので
明日来てください、なら
そんなに緊急ではないのかな?
と思ったりしたけど、
ICUに入って 2週間。
あまりいい話ではないのか?
でも、最近
悪いながらも
落ち着いてるようだし。。。
と、あれこれ考えて
家で
ため息ばかりついてた。
そして、14時。
面会ルームを案内されたけど
中に入るまでもなく
立ち話で
『家族さんの意向も聞いてますので
これからは、辛そうにされてたら
積極的に
鎮静剤を入れていきます。
むくみもひどいので
点滴も減らしていきます。
そうなると、
血圧も下がってきますので
これから、個室にうつってもらって
家族さんの面会制限を解除するので
14時から18時まで
毎日来てもらってもいいし
時間制限もありません。』と
言われました。
毎日会える嬉しさと
鎮痛剤を積極的に、という
言葉の寂しさで
何とも言えない気持ちになった。
個室だから
好きな音楽とか流してあげてもいい、
と看護師さんから聞いたので
大好きな相撲を大きめの音量で
聞かせてあげました。
声をかけると
ほんの少し、まぶたが
少し動いたりするので
聞こえてるんだろうな、
と思って
最初は話してたけど
血圧が50台から
40台になったりするので
あまり、しんどくないように
静かにお父さんを見てました。
看護師さんは
何度も何度も
病室に来られ
しんどそうに見えますか?
と聞きに来る。
しんどそう、と言えば
薬が増えるのが怖くて
いいえ、この前より
しんどそうには見えません!
と伝えてました。
16時になり
私は、障がい者のダンナを
お風呂に入れたりするので
お父さん!
明日来るから
待っててな!!!と、
家に帰りました。
ダンナのお風呂の最中に
LINEがなってたけど
出れずにいた。
出てからLINEを見ると
血圧が42くらいから
上がらんよ、
と書いてあった。
心配だけど
ダンナの着替え、薬、
食事の準備をしていた。
すると
電話があり、
血圧が下がってきたから
来て!!!と。
大急ぎで
ダンナのごはんを食卓へ、
また、電話!
『呼吸が止まった!!!』
もう、私は泣き叫び
『もう行くから
あとは、やって!!!!!』
私の動揺に
ダンナは心配になり
怒鳴るように
『大丈夫なんかいや!!!
気を付けろよ!!!』
ダンナも興奮してた。
わかってる!!!
車で病院に向かった。
その地点で
まだ電話が繋がってた。
多分、妹たちが
切り忘れてるんだろう。
『お父さん!お父さん!』
叫ぶ声。
私も泣いてた。
このときばかりは
ダンナが障がい者なことを
恨んだ。
私も、ほんとはあのまま
病院にいたかった。
道は夕方で混んでた。
すごくすごく混んでた。
電話はもう
切れてた。
あとから聞いたら
姉が、
わたしの運転が心配だから
聞かせるな!と
切ったようだ。
ずっと泣いて運転してた。
病院の入り口は
時間外で遠回りをしなくては
ならなかった。
病室まで
息が止まりそうなくらい
走った。
もう、すでに
病室から
姉も妹も母も
出てきていた。
間に合わなかった。
悔しくて悔しくて。
ずっといたかった。
帰りたくなかった。
母は、
ダンナを恨んだらあかん!
と言った。
わかってる。
でも!でも!
今日ってことはないですよね?
とは聞いてたけど
それはわかりません、と
看護師は言ってたけど。
そやけど、
そんなに危ないなら
言って欲しかった。
私が帰ってから
17時ころに姉が面会きたときに
お父さん!相撲やってるよ!
と声かけたら
少したってから
また、お父さんが
パチ!と目を開けたらしい。
夕方は時々、目を開く父。
前回も、姉と妹とおばは
見てるんですが、
今回は、母も見られたんだって。
よかったね。
そして、
その後、どんどん血圧が
30台になってきて、
先生が話しあると言われ
妹と姉が
聞きに行ったら
亡くなったら
アミロイドーシスを確定したいようなら
解剖しますか?
という話だったらしいけど
なんで、今?
と思って
返事はまた今度、といって
病室に戻ろうと思ったら
看護師が、処置するので
部屋から出てください、と
言ったらしい。
お父さん、浮腫がすごくて
皮膚から水が出てくるので
防水シートを
腕や足に巻かれてました。
それを替える処置だったらしい。
病室に戻ったら
30~20台になってたらしい。
姉は、仕事終わりに
すぐ病室にきたから
先生からの話のあと
着替えと荷物を取りに
席をはずした。
その後、どんどん血圧が下がり
心配になった妹は
ダンナさんに電話をしに
病室を出たら
ピーーーーと
なって、
慌てて戻ったら
もう、心臓が止まってたらしい。
母だけが
ずっと、お父さんの手を握り
yachukaが来るから
待っててや!と
言ってくれてたけど
母に手を握られ
旅立ちました。
お父さん
がんばったね。
がんばらせ過ぎて
ごめんね。
苦しまず、
静かに息を引き取ったと
聞いて
少しだけホッとしました。
お寺さんの都合で
24日の夜から
26日の15時半まで
家で過ごしてくれました。
26日 お通夜
27日 葬儀 でした。
涙は枯れないんですね。
枯れるほど泣いたけど
まだまだ出るんですね。
お父さん、
これからもずっと
家族を見守っててな。
ありがとう。
ありがとう。
いっぱい愛してくれて
ありがとう。
大好き。
お父さん。
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by oreihuzusakay266
| 2024-05-28 19:54
| 日々のつぶやき
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